「セルリアンブルー」
水深10m…
…15m…
私は海の底に向かって潜り続ける。
初心者の私の臨界点はもうそろそろだ。
水深20m…
海水の色が変わり始めた。
…25m…
水深計を読み取る意識が薄くなってくる。
素潜りでは戻りの事も考えなければいけないのだが…もうどうでもいい。
今の私には恐れるものなんてない。
もう、死んでもかまわない。
彼が言っていた世界を見ることが出来たら…
…神の世界のブルー…
…本物のブルー…

一年前
「イルカ?!」
「本当だよ、野生のイルカがいるんだ。いつも二頭なんだ。
恋人同士なのかなぁ…。」
私達は高速道路を彼のハイラックス・サーフで走っていた。
荷室にはいつも潜水道具が積んである。
私達はボンベを持たずに素潜りの限界を楽しんでいる。
レイは男友達とばかり潜って私は時々しか連れていってもらえないのだが。
「信じられない。あの岬に野生のイルカがいるなんて…。
大体、噂にも聞いたことないわ。」
「だよな、信じないよな。
仲間内でも俺しか遭遇したことがないんだもん。
でもさ、本当にいるんだよ。
水深30mを越えると俺のことを心配でもしてくれてるかのように現れるんだ。
他のやつらは素潜りで30mは超えれないからなぁ。
彼等と出会うことは出来ないんじゃないかな?」
彼は愛くるしい目を輝かせながら話し続ける。
「素潜りで30mなんて…正気じゃないわ…。
戻ってこれなかったらどうするの?!」
「知ってるか?日本記録は確か68mだぞ。
上には上がいるもんだよ。」
くっくっくっと彼は笑う。
私はあきれて言葉が出ない。
「それにさ、色が違うんだよ…。」
「色?」
「そう、海水の色さ。30mを越えると海水が本物のブルーになる。
セルリアンブルー。あれは神の世界のブルーだよ…。」
今まで見せたことのない眼差しはどこか遠い世界を見つめているようだった。
その時、後方からあきらかにこちらを上回る速度の
大型トラックのヘッドライトが接近してきた。
追い越そうとして右の追い越し車線にライトが動く。
急なハンドル操作のためか巨体が揺れる。
ハイラックス・サーフに並んでも揺れは止まらない。
追い越す寸前にトラックのテールが少しこちらに流れた。
「ちっ!!」
彼はハンドルを左に微妙に調整して接触しないように試みる。
トンネル内にいたため逃げ場が無い。
ボンッ…
鈍い音とともにサーフの右フロントフェンダーが蹴られた。
私の身体は恐怖のあまり身体が固まり目を瞑る。
次の瞬間サーフの左タイヤは縁石に乗りあがり車体が宙に舞った…。
とっさに彼は私の頭を抑えて自分の身体で抱え込む。
サーフは宙に舞ったあとルーフから道路に叩きつけられて転がる。
一回転…二回転…三回転して止まった。
私を抑えていたはずの彼の身体は半分めくれたルーフから投げ出されていた。
レイ…?
彼は人形のように動かず静かにそっと血の海に横たわっていた…。

肺が水圧で押し潰されそうだ…。
もう水深は30mは過ぎたのだろうか。
もしかして40mが近くなってるのかもしれない。
臨界点突破…もう海面には戻れないのを感じていた。
薄くなった意識とともに下降が続いていた。
その時、辺りは見たこともないブルーに染まっていく。
「これが…セルリアンブルー…?
…彼が言っていた神の色…。
こんなキレイなブルーが…あったのね…。」
肺が未経験の水圧で押し潰される瞬間が近づいてくる。
「…もうすぐあなたのとこへ行ける…もうすぐ…。」
肩と腰に何かが触れるかすかな感触がした。
彼の腕に抱かれているかのような感覚。
「ケイコ…。キレイなブルーだろう?…」
「レイ…、迎えに来てくれたの?」
「ううん、違うよ。助けに来たんだ。
キミはまだこっちに来るべきではない。僕は死にたくて死んだわけじゃない。
わかるだろ…?
僕のことは思い出として心にしまっておいてくれればいい。
まだまだケイコにはやるべきこともあるし幸せも待っているはず。
このセルリアンブルーを見せたから僕はもう満足だ。
さぁ、上へ戻ろう…。」
「レイ!!」
海面で意識を取り戻した私は抱きかかえてくれていたのが彼でないのに気付く。
「…イルカ…あなた達だったの…。」
それはいつもレイを心配してくれていた二頭のイルカだった。
「…ありがとう…彼の代わりに助けてくれたのね。
私はレイが事故の時に助けてくれた事も忘れて…。
…彼の気持ちも考えずに…。」
それまでこらえていた力が消え、自然と涙が溢れてくる。
イルカの鼻先が私の頬にそっと優しく触れる。
その眼差しは彼のように愛くるしく澄みきっていた。
私の心の中が優しい感覚で満たされていく…。
遥か彼方の水平線ではピュアブルーの光が優しく静かに揺れていた。

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