駅
「君の仕事だし、君の人生だ。自分で決めればいい。」
彼がタバコをふかしながら素っ気無く答える。
週末の夜、私たちは行きつけのバーで飲みながら話をしていた。
二人ともトムコリンズの二杯目を頼んだところだった。
「確かにそうだけど…。」
言葉が詰まった。私は止めて欲しかった。
地方の支社に勤めていた私に東京の本社へ転勤の話。
以前から話が持ち上がっていると話したことはあるのだけれど…。
いざ辞令が出てからの彼の答えが気になっていた。
ただ、システムエンジニアとして彼は私の仕事を認めていてくれてたのは事実だった。
五年の付き合いで私は彼のいろんな面を知っていたつもりだ。
優しいところ。
意外と真面目に仕事に没頭するところ。
寝起きの悪さ。
タバコの煙を口を少しゆがめて横にふっと吐き出す癖。
そして…浮気性なところ。
これには散々悩まされた…。
そんなこんな全部ひっくるめて今の私には彼の存在がとても自然だった。
愛しているという事はこういうものなのかもしれない。
(もしかして…また…?)
「ねえ、もしかして好きな子でも出来た?」
「え…?」
図星か!また悪い癖が出たのね…こんな時に。
一体、何度目になるんだろう…。
「好きな子って…気になる程度だよ。」
「だから東京行きに反対しないのね?
君の人生だ、とか言いながら本当はいなくなって欲しいんじゃないの?!」
「それとこの話は別問題だ。
大体、いちいち俺の許可を取る必要があるのか?
君が好きでやってる仕事だ。
それが評価されて本社で必要になった。
いい話じゃないか…。」
「じゃあ、待っててくれる?待っててくれるのね?」
「待つって…。」
一瞬の沈黙。
私は全てを感じ取った。
「やっぱりその子の事が好きなんじゃないの?!
私の事を厄介払いしたいんでしょう?!」
「何、かっかとしてるんだよ…。
落ち着けよ、ただ俺は本当に…。」
「もういいわ、もうたくさん。
今まであなたの浮気にはずっと我慢してきたけれど今回は許せないわ。
こんな大事な時に…。
もう終わりにしましょ、さよなら!」
「おいちょっと待てよ!…俺は…」
私は席を立ち上がり振り返る事をしなかった。
そして彼の真意を確かめずに店を後にした。
私には選択までに残された時間は少なく、心の余裕も無くなっていたのだ。
結局、彼と会うのはそれが最後になった。

東京での生活は私にはとても充実していた。
会社が用意してくれてたマンションはオフィスまで電車を乗り継いで30分。
都心から少し離れていたが閑静な住宅街にあり居心地がよかった。
仕事といえば税関での新しいシステムの開発で私は夢中になっていた。
そして自分自身をスキルアップさせるに刺激的な新しい同僚達。
ロングヘアーも手入れする時間が惜しくて思い切ってばっさり切った。
彼の事を忘れるには十分過ぎる環境…。
いつだったか、倉敷の友人からのメールで彼の事が書かれていた。
『待ってるから頑張って来いって言ってやりたかった。
でもその事があいつの仕事上での重荷になるのも嫌だった。』
彼がそんな事を言っていたと書かれたメールはそのまま削除した。
今更そんな事…。

あっという間の二年だった。
その間、私には新しい恋人が出来ていた。
ずっとチームを組んで仕事をしていた先輩だ。
新しい恋人は真面目で誰かと違って浮気の匂いなんてしない。
私だけを見ていてくれるとても安心できる人だった。
そして周りの誰もがお似合いだと言ってくれた。
「そろそろ君のご両親にきちんと挨拶をしたいのだけど…。
今の仕事が落ち着いたら二人とも少しまとまった休みが取れるはずだ。
一緒に倉敷へ行ってみたいな、どう思う?」
先月の私の誕生日に婚約指輪を持って彼はプロポーズしてくれた。
私の答えはもちろんイエス。
彼の手のひらでプラチナ台にのったダイヤモンドが輝いていた。
「そうね、あなたがそう考えてくれてるのなら…嬉しいわ。
一緒に帰りましょう。うちの両親も喜ぶわきっと。」
「じゃあ決まりだ。
初めてだから君の家に泊まるわけにはいかないから僕はホテルに泊まるよ。
ステーションホテルとかがいいかな?
さっそく予約だ。…とその前に仕事か。」
「そうね、今月中に目処を立てておかないとクライアントからクレームよ。
さぁ、頑張りましょう!」

「雨…?東京は晴れてたのに。」
中国地方の入梅が関東より早いのをすっかり忘れていた。
新幹線で岡山駅に一人で降り立った私は雨をぼんやり見つめいていた。
私の仕事だったクライアントとの最終の詰めが長引きそうだったのでフィアンセには
一足先に倉敷のホテルに行ってもらっていた。
岡山駅から在来線に乗り換えて四つ目の駅が倉敷だ。
ある程度勝手のわかる駅の構内を新幹線ゲートを抜けて在来線のホームに向かって歩く。
( あ… )
見覚えのある後ろ姿。
群集の中からでも私の視線ははっきりと一人の男性を捉える。
別れた彼だった。
心臓の鼓動が高ぶる。
閉ざしていた過去が一瞬で蘇る。
苦い想い出が心に突き刺さる。
このまま歩いていくと追いついてしまう。
はっと我に返った私はそう思った。
彼は引っ越していなければ倉敷、同じ電車だ。
どうするの…
挨拶しようか…
『元気だった?』
『あぁ、そっちはどう?』
普通に会話が出来るだろうか。
私の婚約指輪に気付くだろうか。
同時に私も彼の薬指が気になるだろう…。
結局、一定の距離を保ちながらホームまで歩き一つ隣の車輌に乗った。
彼はうつむいて腕時計で時間を確かめる素振りをした。
そのままうつむいたままの彼の横顔を見ていると何故だか涙が溢れてきそうになる。
あの時、きちんと話し合っていたら今はどうなっていたんだろう。
なんだか今、この瞬間になって初めて彼の気持ちがわかった気がしてきた。
倉敷駅までの15分はとても長く感じられた。
電車が駅のホームに滑り込む。
彼の後ろ姿は人波に押されながら改札口へと向かうエスカレーターに吸い込まれていく。
私はホームに立ち尽くしていた。
フィアンセのいるホテルにそのまま行く気になれず自販機で缶コーヒーを買って
ベンチに腰掛けた。
規則正しく駅に滑り込んでは去っていく電車をぼうっと眺めていた。
お互い待っている人のもとへ帰っていく…か。
いつしか雨はやんで夜の暗闇が静かに周りを覆っていた。
雲の切れ間から優しい月明かりが注いでいる。
『神様が人間にくれた最大のプレゼントは忘れるという事』
そんな事を聞いたことがある。
何もかも忘れるのではなく、忘れなくてもいい時間があってもいいんじゃないの…。
私はコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「さよなら…」
カラン・カラン…
屑入れに投げ込んだ空き缶は、再び封印した私の心に寂しく鳴り響いた。

見覚えのあるレインコート
黄昏の駅で胸が震えた
はやい足どりまぎれもなく
昔愛してたあの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくてもこうして
元気で暮らしてることを
さりげなく告げたかったのに
二年の時が変えたものは
彼のまなざしと私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね気づきもせずに
ひとつ隣の車輌に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙あふれてきそう
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの痛いほど
私だけ愛してたことも
ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく後姿が
やけに哀しく心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけたこの街に
ありふれた夜がやってくる
( 駅 竹内まりや )

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